性別違和、私の取説

GIDとか性別違和に関する私の愚痴

心のバリアフリー

心のバリアフリーについて、おそらく意味わからない人も多いも思いますので少し説明します。

 

例を示した方が分かりやすいかな。

 

今は色んな番組とか取り組みで当たり前になって居ますが…

 

こんな事日常生活でありませんか?

 

ショッピングセンターのエレベーターに乗って居たら途中の階で車椅子の方が乗ってきた。

そんなに大きなエレベーターでは無いけど、その後の途中の階で何人かさらに乗ってきた。

 

車椅子…邪魔…

 

そんな事思う人居る?

普通は居ないよね。

でも、私が乗った時は、子供の声だったけど聴こえたんだ。

親が小さな声で窘めていたけど、かなり気まずい空気が流れたね。

それぞれの階で何人かは降りるけど…

さっさとその場を切り抜けたい感が強かったね。

車椅子の人が下りた階が子連れの階と違ったわけ。

先に車椅子の人が降りる際に、

私はエレベーターのボタンを操作していたよ。完全に出るまで開くを押しっぱなし。

子連れの親子の子供は、『まだ?』なんて言っていたけど、私は最後に車椅子の人が私の方を向いて頭を下げたのを見て笑ったまま扉を閉めたんだけど、子連れの親は何とも複雑な顔をしていたね。

 

直ぐに次の階で親子は下りたけど…

 

本来ならね…その子供が自分の意思でエレベーターの開くのボタンを押さなければ成らなかったんだ。

コレが正解。

 

親の教育が間違って居る証拠なんだよ。

道徳心というのは、学校とかで教わるのでは無く、日々の生活の中で自分自身が学んでいく必要があるんだ。

 

相手が年寄りや子供連れだったとしても私のスタンスは変わらないよ。

 

それはジェンダーがどうのこうの…と言うより、人として当たり前だと思って居るから。

 

親切心って時と場合によっては余計なお節介に見えたりもするけど、基本的には…

『困って居る人がいたら助ける』

が、私の方針。

 

多くの人がその思いを持ってくれたら良いんだけど…何かのイベントが有った前後は確かに一時的にしても増加するけど…それは違うよ。

 

日々の生活の中で、誰もが私と同じ様な心のバリアフリーを持ってくれたら、もう少し住みやすくなるんだけどな。

 

他にも母と買い物に行って、母を窘める時とかあるよ。

 

ショッピングセンターを歩いて居るとたまーに居るんだ…GiDMtFの方とか。

そう言う方の前を歩いて気づくケースは殆どないけど後ろを偶然歩いて居ると母が私に声掛けてくるんだ。

『あの人…おカマちゃん?』

『違うよ。女性だよ』

『え、でも…』

『女の人だよ。違ったら失礼でしょ?』

と…ね。

 

私から見ても…残念ながらその人は…女装者って分かる。

でも、母は私の心なんて知らないから平気でそんな事を言う。

バリアフリーという概念とは違う話だけど…当事者が母の隣にいる事を母自身が知らない。

だから、バカにした様な蔑称で呼んだりする。

私が母を許せないのは、その一点だけ。

 

人それぞれ…生き方がある。

 

普通に生活できて生きられればその方が幸福だと思う。

でも、大抵はみんな心に病を持っている。

多くは病なんて気付いていない。

自分は普通だ…って

 

普通と思っている人がどうして、誰にでも優しくできないのかな?

 

それは、病を抱えている証拠なんだよ。

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