性別違和、私の取説

GIDとか性別違和に関する私の愚痴

自分史を書く事前調査

アルバムの発掘と母の記憶から。

 

母親の胎内から出された時、へその緒が私の身体と首に巻き付く様に襷掛けされ生まれたそうです。

最初は鳴き声一つ出ずにダメか?とお医者さんも母も諦めかけたそうです。

何度もお医者さんが私のお尻を叩いて何とか息を吸い込み…そして産ぶ声をあげました。

 

男の子です。

 

と。

 

母から聞かさせ続けられた私の誕生の瞬間でした。

 

当の私には当然ですが記憶も何もありません。

微かどころか丸っ切り記憶のない時間が流れ始めました。

私の頭の中に記憶として刻み付けられたのは私が3歳ぐらいになった頃ぐらいからです。

0歳から3歳の間に何が有ったのかは、父が撮りためた膨大なアルバムの写真から紐解く事にしました。

 

当初、私の名前はありきたりの名前を付ける予定でした。

ところが私が生まれた一週間後に起きた様々な事故が重なりその死亡者欄に付ける予定でした名前が含まれていた為、急遽その欄には無い名前を付ける事にしたそうです。

父が当時自分のペンネームに使っていた名前の一部を私の名前に持ち入りさらに一文字付け加えた名前に成りました。

生後8日経ってからのことでした。

 

0歳児の際に全裸で撮られた写真が今も残っています。

確かに私には男児であるという証拠が写っています。

恥ずかしい話ですけど…男の子には間違い無いです。

 

この頃…生後半年ぐらいで、髪も伸びてきたのですが写真を見る限り…アレ?と思う写真がありました。

時期は7月…この時は髪も伸び始めてそこそこ長く成り始めて居ました。

でも7月の下旬…病気をしたそうで丸坊主になって居ました。

それが、8月。

その1週間後の写真を見ると…再びフサフサ…んん?ナニコレ?

 

理由を母に聞くと…何らかの病気で髪を切った方が良いと言う事になって丸坊主にしたらしいです。

でも、私の髪って…1週間で元どおり…

何なの?私って…(^^;;

 

ついでにその写真を見ると随所に私がさりげなく…女装している…所がw

ハッキリ女装では無いんですよ。

スカート履いて居たとか…そう言う類では無いんです。

注目した部分は上着でした。

 

アレ?…えーと…

思わず自分が今着ているボタンシャツの向きを確認しましたね。

 

開きというかボタンの位置ですね。

母のコートと同じ開きでボタン配列…

 

これって…女児用じゃあ?

そんな服があちこちの写真に写って居ました。

一見すると半ズボンに見えるけど、よーく見ると…女児用のショートパンツだったり…コレってどういう事なんだろ?

 

アルバムの発掘をしたら、余計混乱した…という状態です。

 

昔だから…そういう事も有りなのかな?とも思いましたけど…私が女児用のコートとかショートパンツを履いている時期って2歳から3歳ぐらいに集中しているんです。

4歳以降は男児用って分かりますから。

 

その記憶に無い時期…の記憶が欠落しているんですね。この辺はさすがに母には聞けませんね。母の記憶も曖昧になって居ますから。

 

顔つきは0歳半年ぐらいから2歳ぐらいまでは男の子とも女の子とも思えない顔立ちでした。

同じ年の従姉妹の女の子と比べても私の方が女の子と言われればその通りだと思う人の方が多いと思います。

 

つまり…小さい頃は可愛かったんですね〜私(*^^*)

いやいや、そうではなくて…私が性別違和を感じた時期を探して居たんですよ。

まだ、最後の発掘が残って居ますが…

弟と比べても私の性別が自ら混乱するように…差し向けられた感はありました。

弟は…最初から男の子です。

今も男ですから…問題無いです。

何よりも私が常に側にいた事で弟を男として成長させた感は有りますね。

 

でも、私はあっちに行ったりこっちに行ったり…性別の川を渡ったり泳いだり溺れたりして居た感じがしています。

写真を見る限りですよ。

 

撮られた時の記憶なんて無いですけど、

その写真に写る幼き頃の自分を見ると…何だか…男の子に見えない部分も見え隠れしているんです。

自分では無意識なのでしょうけど、その瞬間を撮られた写真には、仕草が所々…女の子みたいな感じが…

 

正確に『ココだ!』という部分が無いので今は分かりません。

 

丁度その頃、母から着せられた服を着てまだ舗装もされていなかった家の前を歩く私を父が撮った写真が残っています。

当時としてはまだ珍しかったカラー写真で残っていました。

私がその時の着せられた服の色は赤でした。

長靴は水色ですが、赤い服の下には白いレースのブラウスを着せられ髪は少しだけ前髪が長くなっていてヘアピンが留められていました。

その顔付きは男の子に見えるけど女の子にも見える…そんな感じに写っていました。 

 

性別を位置づける…服の色って重要だと思います。

男の子は大抵…寒色系を本能的に選択します。成人してからは自分に似合う色を自分では選択しますけど、幼い時は親が必然的に寒色系を選択する筈です。

私の場合は…赤色が多かったです。

あくまでも、アルバムに写る私の服の色から見た感じです。

暖色系の服を好んで着て居た節があります。

一体…両親は…私をどう育てたかったのか?

 

その一部をアルバムから発見しました。

父のコメントがアルバムに書かれて居ました。

筆まめだった事が結果的に私の探索のお手伝いとなりました。

 

その私が誕生してから二週間目の写真の側に父の思いが書かれて居ました。

 

『身体が健康で頭が良く、他人に優しく自分に厳しく…そんな風に育って欲しい』

 

身体は健康ですけど…頭が良いかどうかは…置いといて…(^^;;

他人に優しく…自分に厳しいのは当たったかなww

 

それを見た瞬間…一陣の風が…吹いて…

暫く身動き出来ませんでしたね。

庭のテラスで探索をして居ましたので。

 

本当は家の中に全部持ち込みたいのですが…ボックスに入れておけば良いかなと思ってそのまま放置中です。

 

 雰囲気だけは女の子にも見える…

でも、男の子には間違い無いはず。

 

当時、私の家は写真屋をしていました。

カメラとかも売っていました。

昔は白黒写真は店の暗室でプリントしてお客さんに提供するのが父の仕事では母はそんな父の手伝いをしていました。

私のお守りは居候していた父方の叔母がしていました。

 

今にして思うと、この叔母の存在が私の方向性を位置付けたのかも知れません。

 

 日中の遊び相手も叔母と、お風呂に入る際も叔母と一緒か母と一緒でした。

叔母との遊びの中で女の子の要素は一つも無いと思います。

その記憶も記録も無いから分かりません。

ただ、誰かに教えてもらったわけでも無かった綾取りやお弾きやゴム跳びを幼稚園に入った頃には既に知っていました。

好きな遊びの一つにおままごとも有りましたけど、道具が先に有りき…でしたね。オモチャでも当時は電熱とか使っていて普通にホットケーキもオモチャでも焼けましたから。その内に本物のガスコンロで作るように成りましたけど。

 

服装は男の子の服でしたので叔母が何かを私にしていた形跡はありません。

勿論叔母と一緒に自宅のお風呂や銭湯の女湯に入っていた事は認めますが、2歳ぐらいの男の子でしたらごく普通のことだったと思います。

 

父方の祖父は私にオモチャを良く買って来てくれました。銃のオモチャが最後で一番思い出に残っています。

 

その祖父は私が3歳ぐらいの時に亡くなりました。

その頃には私は幼稚園に通っていたと思います。

 

祖父の思い出はその一つだけ。

父同様に酒飲みでしたね。

好きとか嫌いとか示すことなく、孫と祖父の関係なんてそんな感じだったと記憶しています。

 

2歳ぐらいの記憶は殆ど無いです。

その頃の写真集の第3集。

次回の探索にて明らかになると思います。