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性別違和、私の取説

GIDとか性別違和に関する私の愚痴

生い立ち 6

私の女装歴は自分の意思で始めたのが
小学2年生ぐらいからでした。
最初は洗濯物の中にありました母のスカートを履いてみたい気持ちになりまして、母がいない所でコッソリ履いたのが最初です。
似合うとかそういう感じではなくて、半ズボンの延長みたいな感じでした。
最初に履いたのがキュロットスカートでしたから。
その内にタイツとかを履いてスカート履いたらどうなのかな?と思うようになりまして、幼稚園の頃に履いていた白いタイツをタンスの奥に入っていたのを見つけて履こうとしたんです。
でも、小さくて履けませんでした。
私の身体が成長し始めていたからなんです。
そこで、母のストッキングを履いてみました。
ベージュのタイツみたいな感触がありました。
このタイツみたいなストッキングを履いてスカートを履いたら、、、、
鏡にその姿を映したら、、、

女の子みたいに見えました。
いいえ、女の子が鏡に映っていました。

「これが私の本当の姿」と思ったのか、、
どうかは、記憶にありません

ただ、その日を境に私の女装はエスカレートしていきました。
禁止されているデパートに行って子供服売り場で初めてスカートを買いました。
そんなに高くは無かったのですがそのお金は本来参考書を買う為のお金でした。

それを家の中に持ち込んで一人で留守番する時に履いてみました。
ベルベット生地でバラの花柄がプリントされているミニスカートでした。
立ったり座ったり、、、今考えると滑稽ですが、その時は嬉しかったですね。

でも、隠し持っていると、、、
いつかは、バレるんです。
隠す場所が悪かったのかもしれません。
母のクローゼットに隠しましたら、衣替えの時期に見つかり詰問されました。
私は何とかその場凌ぎの嘘で「知らない」と、、、
結果、、そのお気に入りだったスカートはゴミとして母により処分されました。

 

今になって思うんですよ。

あの時、、、ちゃんと女の子になりたいとかスカート履きたいって言っていたら、、
母は履かせてくれたのかな?、、、と。
私の性別違和を今、ちゃんと理解してくれたのかな?、、、って。

今は後悔しか無いです。

でも、あの頃は、スカート1枚棄てられただけではめげませんでした。
次に私が買ったのはワンピース型のスクール水着でした。
当時は袋に入ってサイズ毎に売られていましたから当然男の子用と混じってカゴ売りされていたので、「あ、間違っちゃった」
でも済みました。

でも、それを家で着るのと間違って買ったと言うのは別問題です。
着用したら女装です。
私はそれをする為に買ったのですから。

もちろん、、、その水着も後日母に発見されて棄てられました
母は母なりに私を心配していたようです。
学校の勉強も疎かになっているのに女装を楽しんでいる私が居ることに。

学習能力って大事ですよね。
子供だった私はそれ以後も買ってきては棄てられを繰り返しました。

学校の成績は下がりましたね。
そうこうして居る内に、、、

学校内の私がいた教室で一つの問題がおきました。
《第2の事案発生》でした。

私は、その気の弱さから学校ではよく泣いていました。
理由はいくつかあるのですが、多くは同級生の男の子からの意地悪やイジメでした。
女の子達とばかり話したりしていた私は男の子の会話には全く付いて行けなくなっていました。
何を言っているのか、、、分からなかったんです。

今は分かりますよ。スケべな話とかも。
でも、会話には参加していませんね。
私には理解不能な世界ですから。

その日、買ってきたばかりの消しゴムを隣の席の男の子が貸してくれと言うので貸しました。
そしたら、その男の子は私の消しゴムを勝手にカッターで切り刻んで半分ぐらい残して私に返したのです。

ヒドイ!
私は泣きました。

そしたら、その前後のことを知らない担任の女教師が私の所まで来て隣の男の子では無く私を叱りました。
そして、同級生のみんなが居る前で言いました。
「煩いわね。そんなに泣きたいのなら明日からスカート履いて来なさい。男の子は泣かないの。女の子になりなさい。良いわね?」

そんな事言われなくても、、、と今でしたら逆に嬉しいと思いますけど当時はそれどころではありませんでしたので、余計泣く事になりました。
すると女教師は私の手を引っ張って教室の後ろに反対側に立たせて私に授業を受けさせませんでした。

私は男の子のした行為が許せなかっただけなんです。
それなのに、、、

女の子だったら泣いても心配してくれるのに、、、どうして、、、、私が男の子だから?、、、、

その一件で流石に明日からスカートには成りませんでしたけど、担任の女教師の私への心象は悪く成りましたね。

以後卒業まで同級生達からのイジメやこの担任の女教師からのイジメは無くなりませんでした。

事ある毎に謂れなき言葉によるイジメを受け続けました。
それでも、登校を続けられたのは、校内に図書館があった事と集団登校で否応無く無理矢理登校せざる得なかった事です。

校内の図書館で一人、本をよく読みましたね。
家にもかなりの児童図書が有りましたけど2年生ぐらいまでに全部読んでいましたから。
物足りなさがありました。

学校の勉強は出来ない子のレッテルが貼られていましたけどそれ以外の勉強に関係が無い分野では知識を蓄えつつありました。

皮肉ですね。
今、私を支えて居るのはこの頃に図書館や家にあった文学書で得た知識と成人後に得た知識や情報なんです。
学校の勉強なんて、正直全く役に立っていません。
計算とかはスマホの電卓で済みますし、社会情勢はネットニュースで済みます。
植物や作物を育てるのも別に園芸本を買って読めば分かります。

学校は友達を作るところ?
うーん、、、成人前の友達というか同級生達との交遊はもう無いですよ。
性別違和だから、、、では無くて、生活圏が変わりましたから、接触自体が無くなりました。

それでも、私の性別違和を知らない友人というか知人は少なからず居ますよ。
教える必要も無いですけど、何かあったら直ぐに駆け付けてくれる方達ばかりです。
男女関係なく、、ね

もう少し続きます、、。

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