読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

性別違和、私の取説

GIDとか性別違和に関する私の愚痴

生い立ち 8

私の生い立ちを語るだけでこんなに長くなってしまいましたが、これでもかなり端折っています。

思い出すと今まで様々な出来事や事象がありました。(言い方正しいのかな?あせる)

補完分は思い出したらまた語ることにします。


高校卒業後、私は殆ど縁故で県外の会社に就職しました。
高校の部活動の延長線上にあった写真関係の会社でした。
仕事自体は直ぐに慣れましたし好きでしたよ。
日本各地から来た同年代の同僚とも仲は良かった方です。全員男性でしたが。
当たり前ですね。

高校時代にはあまり顕著に性別違和の感覚は無かったのですが就職したら僅かですが性別違和への再発感が出始めていました。
同僚と買い物とかにも最初の内は出掛けたり遊びに行ったりしていました。

その同僚の中に自動二輪のバイクの免許とバイクを実家の東北地方から持って来た同僚とかも居まして、良く後ろに乗せてもらって遊びに行ったことも有りました。
私はなんだか、彼女気分でしたね。

就職して一人暮らしではありませんでした。
先輩との一軒家での共同生活が待っていました。
正直、、汚い家でしたね。水道水も消毒が強すぎて美味しくなく口を濯ぐ程度。
お風呂もトイレも汚く、とても入る気には成れませんでした。

この一軒家には、先輩の部屋8畳と私の部屋6畳がありまして、それぞれ分離していました。
ただ、電気ガス代は折半でしたね。
電気は私も使いますがガス代は、、、お風呂ぐらいかな、、あまり入りませんでしたけど。シャワーを浴びる程度でした。

実は、1ヶ月に3回ぐらい私は実家に帰省していたんです。
その時に実家でお風呂とか入っていましたので敢えてその汚いお風呂に入る気はあまり無かったのです。

就職しても最初の数ヶ月は研修の毎日でした。
自炊も気にならないんですね。
小学生の頃から私は殆ど自分で作って食べて洗うをしていましたから。

オカズとかのお惣菜も近所のスーパーもどきのお店で売っていましたからそれを買って来てご飯も炊いて、、食べていましたね。夕飯とかは。
朝は食べないで昼間は会社の食堂で食べていました。

半年ぐらい経って、私を含む同僚達もそれぞれの場所に配属されました。
私が担当した部署は当時の最新鋭機器の扱いでしたね。
していた内容は、覚えれば誰でも出来る仕事でしたが故障も多くて毎日残業でした。

会社のお荷物、、、みたいな部署でしたね。
無理も無いんですよ。
みんな初めての機械だから。会社の管理職の人たちも、みんな頭を毎日抱えていました。
その年の秋《第5の事案発生》がありました。


私は日勤でしたが、先輩は二部制の夜勤。
当然の就寝時間も違います。
私は朝8時までに出勤ですが、先輩は夜勤ですので午後5時までの出勤すれば良いので、当然の先輩と同じ夜勤の同僚達も先輩の部屋に遊びに来ます。

私は、、、寝ている。
先輩は、、起きている。しかも麻雀している。

正直眠れませんよ。

1週間ぐらいでしたら、我慢も出来ます。
でも、入社して研修が終わってから隔週で毎日でしたから。

睡眠不足とイライラが募っていました。
それでも何とかその晩は耳栓して就寝できたんです。

《第5の事案発生》がその直後、私を襲いました。

先輩がまだ帰宅していない時間でした。
先輩の部屋の窓が開けられ何だか騒がしく聞こえました。
私の部屋の窓も何度か叩かれましたが私は無視していました。
すると、鍵を掛けていた私の部屋の扉が無理矢理開けられて、その人影はベッドの上で布団を被って寝ていた私に襲いかかりました。

一瞬息が止まった感じになって、抵抗しようにも相手の力の方が強くて、、、
口は抑えられ、声も出せずにその人影は布団の中に入り込みました。
私の当時の寝巻きはジャージでした。
今もジャージですけど^^;

寝巻きのジャージを無理矢理パンツと共に脱がされた時私はハッキリと目を覚ましました。
もちろん、抵抗しましたよ。
でも、その男の力の方が強くて、殆ど雁字搦めで私は高校2年以来2度目のレイプに遭いました。

男は、先輩の同僚であり、私の一つ上の先輩でもありました。
酔っていた臭いもありました。

これが、フィクションで作り話でしたら、夢と思えたかも知れませんし、
今、、
性別違和を改めて感じる必要も本当は無かったかも知れません。

でも、真実なんです。

その翌朝、私は会社を休みました。
有給で休ませて貰いました。

私を犯した同僚の先輩は、私の部屋に侵入した覚えもないと私と同居していた先輩に話して、この一件は私の夢とされました。

私はこの後、休みがちになり、入社から1年満たずに退社し、実家に戻る事になりました。

信じられませんよね。

こんな事が有ったのに会社には何も言えなかった私。
あの時ほど死にたいと思った事はありませんでした。

これ以後《事案発生》は起きていません。

理由は実家の家業を継ぐ事になったからです。
それは、私の性別違和を放置させ自由を奪う事になりました。

私は、これまで色々間違えた人生を送って来ました。
最初に、カミングアウトしていれば違った人生だったかも知れません。
でも、それが出来なかった。
出来なかった理由、それは、迷いがあったから。
いつか、治せる病と思っていたから。

性別違和、、、完治出来ない、、と知ったのは、それから20年以上も経ってからでした。

私の生い立ちは、これで終わりですけど
補完する話しはまだ残っていますから順次語る事にします。

お読みいただいた方々、ありがとうございました。

広告を非表示にする