性別違和、私の取説

GIDとか性別違和に関する私の愚痴

この場合は…

よく、性同一性障害MtF?のブログで女性ホルモンの効用とか書いているでしょ?

アレって、薬事法違反とか医療行為とかに問われないのかな?

 

ふと、そんな事を思いました。

 

そうかも知れない…と思っている人に指針を与える行為自体、医療行為?とも受け取れるわけで…

 

そー言えば、芸能人とかはそういう言葉自体が出てこないように配慮しているなぁ〜。

 

コレは…もしかしたら、規制が入るかも。

 

そうなったら、本当に治療?とかしてブログで報告している性同一性障害?の人達を信じることが可能なのか?

 

という壁に当たるね〜

 

当事者たちがそうした行為をブログで報告して、処罰を受けるのなら別に構わないけど、それを読んだ人が真似したい…と思っても不思議では無いってこと。

 

でも、それって、医療行為の助長になるかも。

危険だよね。

 

いくら、ブログで個人差があります。とか、危険です…とか書いても自撮り載せている時点で、効用を見せているわけだし…。

 

分かっているのかな?

当事者たちは…

 

私も薬自体は箱ごと撮ってアップしたことあるけどさ。

でも、実際に服用しているのか?なんて事は、読んでいる人には分からないもんね。

 

自撮りで証明?

 

いやぁ、それはしないと思うな。

だって、露出狂では無いので。

羞恥心は、男だろうが女だろうが…持っているのが、『人間としての証』なわけだし。

 

それを考えたら…

性同一性障害で、MtFとかAGは人間では無い?

 

ああ、なるほど…そう考えると全て納得できるわ。

 

著名人が、亡くなった時…

かつて、自分も親が亡くなった時のことを思い出す。

 

これから…大変だなぁ…

って。

 

通夜、告別式、お別れの会…

公式行事が目白押し。

その内に新盆があって、1年間の喪に服し…一周忌…三回忌、七回忌…

 

本当に…残った家族のプレッシャーやらストレスは…計り知れない…と思います。

 

でもね…亡くなった本人は、生きている時に、『たった一回限りの人生だから』と思っていても、自分の思った通りの生き方が誰もが出来る…なんて、ごく僅か。

 

殆どは、『死にたく無い』じゃないかな。

特に性同一性障害?の人達は…

 

本当に…

性同一性障害であるのならば、今を自分らしく生きよう…って考えるのが普通なんだよ。

 

それは、性別がどーの、こーの…じゃなくて、『自分とは?』から始まるんだ。

 

自分の中にある哲学に基づいて、今を生きようとする。

その結果、身体を心に合わせようとするけど、それでは解決しない。

 

解決したと思っているのなら、それは

性同一性障害ではないという証拠。

 

難しいでしょ?

 

私はおそらく性別違和を永年持っていて性同一性障害である。

でも、それによって、どーするわけでもなく、今までと同じ様に接してくれれば私はそれだけでいい。

 

ね?

単純でしょ?

 

性別違和や性同一性障害って、表舞台に出して身体を変え不確かなココロに準じた身体にして、生きていくだけでは無いんだ。

 

それでは、つまらないんだよ。

だって、生まれてきた経緯を否定するわけだから。

自分に性別違和があると思った時点でその人は死ぬべき存在なんだ。

 

見かけの性別を変えたところで、私には幸福を感じることが出来ない以上、せめて、人間たちを好きになろうと思った。

 

男女個人は正直苦手かな。

好きでは無いけど嫌いでも無いけど…

愛せないと、思った。

 

人間って矛盾だらけなんだ。

だから、私は今も『見ている』

本当に私の『チカラ』が必要となる日が訪れるまで。

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