性別違和、私の取説

GIDとか性別違和に関する私の愚痴

不謹慎な人達ばかり

性同一性障害MtFと言うことは、男性から女性に性別移行する予定の人達の筈。

 

と言うことは、本来なら自分のブログの中で、お悔やみとか言ってもおかしくは無いと思うのですけど?

 

心が女性だからこそ、哀しみも分かると理解出来なくても、一緒に見ていけると思うのですけど?

 

亡くなった方は、既に口を出せる立場では無いけど、遺された夫が聞いた最愛の妻からの最後の言葉…

 

私も言って見たい…

 

言われたい…と言うのもあるかな。

 

でも、無理。

私はあんなに強くいきられない。

まるで、純愛小説か純愛の映画を見ているかの様。

 

自分を女性と思うのは勝手ですけど、自分のブログに想いを感じて書くことぐらいできる筈ですが…

書いている当事者って…皆無。

 

全て、『自分本位』

 

本当はそうでは無い筈なのだけど、何故か…性同一性障害MtFな人たちのブログは何故か男らしい^^;

 

見え隠れするんですよ。 

文面は女らしく…でもその中身は男そのもの。

 

それでいて、女性化を主張している。

声高らかに。

 

こんなのが、本当に性同一性障害なのか?

 

人間の本質って…いや、優しさなんて言葉にしなくても、態度や生き方で示せると思うのだけど。

 

今の性同一性障害MtFと自分を謳っている多くの人たちは、優しさの本質を履き違えている。

 

優しさの反対側は厳しさなんですよ。

 

厳しさの中に優しさが欠片だけ入っている。

でも、その人が本当に厳しさの中で生きているのならば、その人の本質はとても優しい世界に居ると思います。

 

優しさだけでは生きていけない世界に私たちは居るんです。

 

性同一性障害MtFの多くは、優しい世界にこそ、自分たちだけが生きられると?

そう思って居るのかな?

 

だとしたら、この世界で生きていくのは難しいです。

 

この世界は大きな厳しさの中に欠片だけの優しさがあり、欠片だけの楽しさ、哀しみもあるんです。

 

たまには、いや…

常に厳しさの中に欠片の優しさを持ち合わせて居るのならば、その方こそ、生きられる限り一生懸命生きて、そして、逝って欲しい。

私も、そうしたい…一人です。